プチ講演会「京田辺市の地名の由来」

遅ればせながら、part.2

月1回の定例会時前に行われる会員によるプチ講演会報告です。

10月は『京田辺市の地名の由来について』

以前 市民講座の講師として登壇したS氏が、会員向けに内容を抜粋して講演!

今回は「田辺・水取・草内について」です。

以下 メンバーの感想です。

田辺について

田辺町がまだ町になっていない田辺村のときからそこに「大字田辺」があり、またそこに「小字田辺」があったとのことです。その近くに『奥の城』という名があります。

このあたりに室町幕府の管領を務めた細川頼之の配下の武将であった田辺氏の城があり、そこから田辺の名が付いたとのことです。案外新しい頃にできた地名だと思いました。

水取について

地名の由来については『饒速日命(にぎはやひのみこと)六世孫、左京神別水取連(むらじ)始め此地に居住す。水取司(みずとりのつかさ)之に置く』にもとづいて、水取の名がつけられたとのことです。

神話の頃からというか、古くからあった地名だと思います。

草内について

草内地区にある『中島山 法泉寺』の縁起によれば、その昔、五郎右衛門という人が草むらの中から紫の雲がたなびくのを見て、草の中を探したところ一寸八分の黄金の観音像が現れた。そこでその仏を体内におさめた観世音を作った。

これが法泉寺の本尊であるとのことです。

草内の地名はこれにより起こったといわれています。

京田辺の地名は神代の時代から室町時代まで多岐にわたっていて面白いですね。

続きはまた今度だそうです!

楽しみです。