プチ講演会(勉強会)3月「ブラブラ古代歴史散歩・パート1(磐之媛と筒城岡の南の宮室)」

2025年3月11日(火)プチ講演会(勉強会)3月「ブラブラ古代歴史散歩・パート1(磐之媛と筒城岡の南の宮室)」月1回の定例会前に行われる会員によるプチ講演会報告です。
本日の講師は当会の前々代表S氏。
奈良に精通する人材を認定する「奈良まほろばソムリエ検定」(奈良商工会議所主催)の最上級「奈良まほろばソムリエ」の資格も持つS氏だけあって、中身の深い素晴らしい内容でした。
京田辺市多々羅には『日本最初外国蚕飼育旧跡』の石碑があります。
「仁徳天皇の皇后、磐之媛が仁徳天皇の浮気を怒り、当地に住む百済からの渡来人 奴理能美(ぬりのみ)の屋敷を宮室とされた」と私たちはガイドしています。
その磐之媛について
1、磐之媛は何故「筒木」にきたのか
2、筒城岡の南の宮室はどこか
をいろいろな資料を読み解いてお話しされました。
そのお話の一部は下記の通りです。
・磐之媛の父は葛城襲津彦(かつらぎそつひこ)といいます。
葛城氏の祖であり5代の天皇に仕え、300歳の長寿であった武内宿禰(たけのうちのすくね)の子どもでもあります。
・葛城氏は、奈良盆地の南西、金剛・葛城・二上山麓に広がる葛城の地を本拠として、5世紀にヤマト王権の大臣(おおおみ)と、王家の姻族として隆盛を極めました。
・葛城氏の財力の源は「鉄」で、韓半島(朝鮮)の伽耶から葛城の高宮まで3ルートのアイアンロードがありました。
1、日本海ルート(息長氏) 2、瀬戸内海北岸(吉備氏)、 3、瀬戸内海南(紀氏) です。
京田辺市多々羅は当時(古代)、筒木に属し、2と3のアイアンロードにあるので、葛城襲津彦が韓半島から連れ帰った奴理能美を配置したということです。
などなど以下、書ききれませんがとても興味深い内容でした。
またパート2を楽しみにしている私たちです♪