プチ講演会「祇園祭について」
2024年7月9日(火)プチ講演会(勉強会)7月「祇園祭について」
月1回の定例会前に行われる会員によるプチ講演会報告です。
今回も講師はたびたび登壇してくださる、走る男F氏。
情報はあまたあれど、あえて一番確実であろう「新版 京都・観光文化検定試験 公式テキストブック」より
基本情報を抜粋、その他の資料とともにお話していだだきました。
以下M氏によるまとめと感想です♪
京都文化を代表する魅力の第一に、多くの人が「祇園祭」を掲げる。
かつては『祇園会、祇園御霊会』とよばれた。山背国が長岡京、平安京建都以来背負っていた御霊(怨霊)を祈り、攘う(はらう)行事であった。
御霊とは政治的に不遇で非業の最後を遂げた人々の霊魂をさすが、災厄である雷火、洪水、疫病となってあらわれる。その御霊信仰を取り除くのに、その荒ぶる霊魂を一か所に集めて災厄を洩らさないよう慰撫して都の外へ送り出す。
御霊の及ぼす具体的な災厄が、「人格神」より、「火雷神」、「天神」へと変化し牛頭天王という御法神の名で当初から天神信仰の形式が守られてきた。
室町時代、教養のたかい、裕福な地域共同体が祇園祭の担い手である。
八坂神社の祭神である、素戔嗚の尊(中御座)、櫛稲田姫(東御座)、八柱の御子神(西御座)から3基の神輿が神幸祭で御旅所に渡御、還幸祭で御旅所から祇園社に還御される。
各町内からの山鉾巡行は、この神幸祭、還幸祭に付随する出し物として形成されている。
御霊社の神社祭事以上に、町衆の生活圏に蔓延する疫神をおいはらう行事=山鉾巡行が重要な行事となっていく。
梅雨明け直前、疫病を蔓延させる疫神を、風流の粋を尽くした懸装品、鉦鼓の囃子で呼びよせ山(まつ)、鉾(神木・真木)の依り代に迎える。
巡行後、山鉾はすぐに解体される。疫神を四散させないためである。
1150年以上の日本の祭礼の原点といえるこの祇園祭は脈脈と町衆の手で受け継がれてきましたが、途中何回かの中止があった、
応仁の乱で33年間、第二次世界大戦での4年間、昭和37年京都地下鉄工事での中止、
また巡行経路の変更、S31寺町松原→寺町御池、S36河原町御池、巡行一本化(前祭に統合S40年)
そして前祭、後祭復活。
平成26年49年ぶりの復活には150年ぶりの大船鉾復活が伴った。
日本の三大祭が故に、山鉾巡行が祇園祭と思っている方、神事祭行事と観光事業と混同しているのではないかと思われる方…
個人的にはちょっともったいない!と感じられます。
歴史的な背景やなりたちを知れば違った視点で見られますよ。